アメリカとイギリスの違い 言語編
GapのPegged Boyfriend Denim(ロールアップしたボーイフレンドデニム)がざわついた理由
Twitter見てたらこんなポストがあって、最初わからなかったんですが、調べたら、あははとなったので。
just checking in did gap Really name a style of jeans this pic.twitter.com/vWC016yj23
— emma (@hom0rganic) March 7, 2019
「聞きたいんだけど、Gapはほんとに”これ”をジーンズの名前にしたの?」
”これ”とは写真にあるタグの「Pegged Boyfriend」を指すようです。そしてコメント欄はなかなか盛り上がってます。ボーイフレンドジーンズはよく聞くけど、「Pegged」なジーンズってなんだろう? 何がだめなんだろう?と思って調べてみました。
「Peg」って、名詞では壁のフックとか、イギリス英語では洗濯ばさみとかの意味があり、動詞だと「フックにかける」とか「洗濯ばさみではさむ」とかの意味になるようです。そして「Pegged Jeans」は、すそをロールアップしたジーンズのことのようで、日本でも「ペグジーンズ」とか言われてることがあるみたいですね。
そんなわけで「Pegged Boyfriend」は直訳だと「フックにかけられたボーイフレンド」みたいなことになるんですが、それじゃ何がおかしいのかわかりません。上のTwitterのコメントを見ると、何か性的な意味があるようです。
こういうときの味方は、スラング辞書のUrban Dictionaryです。調べてみると、pegには「女性が張形を着けて、男性の肛門に挿入する」みたいな意味があるようです。つまり「Pegged Boyfriend」とは、そういうプレイをされちゃったボーイフレンドという意味になります。
Twitterのスレッドではさらに「Pegged Distressed Boyfriend Jeans」なんてモノも発見されてました。「Distressed」とは、洋服とかに使うときは「使い古した風合いの」という意味になりますが、もともと「Distress」は「疲れさせる」みたいな意味なので、「Pegged Distressed Boyfriend」では「Pegされてよれよれになったボーイフレンド」みたいなことになってしまいます。
「Pegged Jeans」だけだと誰もおかしいと思わないのに、Boyfriendがくっつくことでアッー!となっちゃったんですね。多義な言葉がくっついて知らず知らずのうちにすごい意味になっちゃってるケースは他にもありそうです。
90年代ファッションってどんなだったっけ、と当時の10〜20代(の私)が振り返ってみる
こんな久々更新はありですか
前回更新からはや1年と何ヵ月!? ブログってこんなことでいいんでしたっけ。すみません。以下、個人的な思い・言い訳と、自分の書いた記事へのリンク集ですので、奇特な方以外は読み飛ばしてください。
Normcoreへの反応まとめます、ありがとうございます!
前回NYで流行ってるといわれるNormcoreについての記事を書いたところ、驚愕の大反響をいただきました。アクセス、コメントくださった方、どうもありがとうございます!
今まで友達にしか教えてないブログで更新もたまにしかしてませんでしたが、今回の記事でアクセス数が一気に100倍以上になりました(母数が少なすぎという説も)。はてなブックマーク、Twitter、Facebookなどなどで共有してくださった方々の影響力はすごいです。
うれしかったのはアクセス数だけじゃなく、ブログの中やはてなブックマーク、Twitterでたくさんコメントをいただけたことです。記事を書くのも楽しかったですが、コメントを読むのはもっと面白かったです。参考になる本なども教えていただき、情報発信は最大の情報収集、、と感じました。コメントははてなやTwitterのページで一覧として見られますが、このブログでも自分なりにまとめておきます。
本来でしたらそれぞれの方のツイートなどリンクさせていただくべきかもしれませんが、お礼兼ねて早めに出したいのでテキストでの抜粋になってしまうのをご容赦ください!まとめちゃってますが、今のところ全部拝読してるつもりです。
まず全体的に、「なんとなく感じつつあったことと一致した」「共感した」といったコメントをたくさんいただきました。ニューヨークと日本、離れているけど空気はつながっているんでしょうね。
私個人的にすごくピンときたのは、「SNSとかで自分らしさは表現しちゃってるから、服で主張する時代は終わった」「ブランディングにおけるファッションの役割が縮んでる」といったコメントです。
たしかに自分自身も、今ちょっとカッコつけた服装をしようとするとき、何か家の茶の間でよそ行きのドレスでも着てるような違和感を感じるようになってました。それは自分がこの数年で会社勤めからフリーランスになり、子供も生まれ…といったライフスタイルの変化のせいかと思っていたのですが、それだけじゃないんだな、と思いました。ネットの浸透でいろんなことの「嘘っぽさ」が見透かされるようになってきて、飾り立てるのが白々しく感じられてしまうのかもしれません。
これに通じる考え方がもっと前に書かれた本として、「につまるとblog」さんが菅付雅信さんの『中身化する社会』を紹介されてましたので、読んで見たいと思いました。それから佐々木俊尚さんの『簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。』でも同じことが書かれてるそうです。
そう、Normcoreな気分はファッションだけじゃなく食にも影響してるんですね。ブライダルのお仕事されてる方からもコメントいただいて、「Normcore(に共感する人が挙げたいと思うような)結婚式」ってすごく難しいお題だけどすごくワクワクするなあと思いました。
そして「人と同じ服でもいいのは、個性があるから」「価値観とか生き方にフォーカスしてるのかも」「自分の価値観がしっかりしてない人ほど表面的な差異を求める」「自分が似合う自分らしい服を突き詰めるのは相当難しい」「ファッションを纏うことで自意識とのすり合わせをしているという感覚」といったコメントからも、やっぱり「自分」が大事だなと思った次第です。このあたりについては鷲田清一さんの本をおすすめいただいたので、読んでみたいと思ってます。
違う意味で共感したのは、「俺/私はこれだったんだ、最先端だったんだwww」ってコメントで、これもたくさんいただきました。私も今毎日着てるのは夫所有のパタゴニアのダウン+普通のレギンスで、J.Crewのダウンジャケットをファイナルセールで買って狂喜乱舞しているような、そんなことでファッション語って大丈夫かという感じなのです。
あとは逆に、思ってたのと違ってハっとしたこともいろいろあります。まず私はNormcoreはゆる楽方向かなと思ったのですが、「Normcoreは快適や安らぎではない。大衆と同じ格好をしてても生きざまが違うから目立つ」というコメントをいただきました。たしかに、身体的には楽でも、精神的にはむしろ厳しくなるのかもしれません…。
さらに「同じ服でもモデルみたいな人が着るからいい」「サイズ感が大事」「健康志向にも通じるのでは」といったコメントもありました。たしかに、おじさんっぽい半端なゆったり感の服って、体型によって見栄えが大きく違ってきます。だから精神的だけじゃなくやっぱり身体的にも楽はできないのねとか…。
それから、Normcoreという考え方に関してもっとネガティブな「『あえて逆に行く』ってのは結局他人を意識してる(かっこよくない)」「痛い」「服を選ぶ楽しみを奪われてる」「新しさを求めないなんて」などなどの反応もたくさんありました。ネガコメというよりは、率直な感想だと受け止めています。というか「Normcoreって、なんか違うんじゃない?」という感覚から生まれてくるものが、次の新しい「何か」になるのかもと期待もしています。
昨日のニューヨーク・タイムズでもNormcoreが大特集されていて、でもトーンとしては「Normcoreってホントに流行ってるの? まー、ここまで騒がれちゃったらしょうがないか」という感じです。
でも大事なのは、というか面白いのは、Normcoreが流行ってるのかどうか、かっこいいのかどうか、ってことよりも、これを起点に何を考えて、何をするかってことじゃないかと思います。読んでくださった方の仕事とか趣味とか生活のヒントになってればうれしいです。
で、私自身は、どうしよう。
とりあえず、このブログではこれからも自分的に「拾ってきた小石」(Pebbles)みたいなものをポツポツ並べていきます。あくまで私の仕事とか生活の範囲から、私の基準で拾ってくるものなので、前の記事みたいにたくさんの方に読んでいただくほどじゃないかもしれません。でもなるべく、「必要としてる人は多いか少ないかわからないけど、読みたい人にとってはすごく大事」みたいな情報を記事にしていければと思います。これからもよろしくお願いします!
NYで流行ってるらしい「Normcore」(究極の普通)とはなんぞ
先日翻訳仕事の中で、Normcoreって言葉を知りました。Normは標準、coreは「ハードコア」とかの「コア」で、サラっと言うと「究極の普通」という感じでしょうか。私が読んだ文章では、「きわめて普通っぽい服装」くらいの意味で使われてました。
2月終わり頃から話題になっているみたいです。この言葉を最初にメジャーデビューさせたのは、2月26日付ニューヨーク・マガジンの「The Cut」に書かれたフィオナ・ダンカンさんの記事です。
その記事によると「Normcore」とは、「アートキッズ」や「ダウンタウンの女子たち」が「中年の、中流アメリカ人観光客」みたいな服装、つまり「ショッピングモールで買ったような服」「デリのコーヒーの最後の一滴みたいにぬるい服」を着るってことです。たとえばストーンウォッシュのジーンズやフリース、ラクなスニーカー、アディダスのトラックパンツやナイキのスリッパ型サンダル、ニューバランスのスニーカー、TevaとかビルケンシュトックのサンダルPatagoniaのウィンドブレーカー、ユニクロのカーキパンツ、Crocs、土産物の野球帽、などなどなどといったアイテムが例として挙げられてます。
イメージされる人はアップル創業者のスティーブ・ジョブズとか、
『となりのサインフェルド』のジェリー・サインフェルドとか(この写真一番右がサインフェルドだけど、大体みんな非常に普通な…)です。
Normcoreという言葉、元々はK-HOLEというトレンド予測集団が提唱したものです。彼らが言うNormcoreとは、ある種の服装というよりは姿勢のことを指しているみたいです。つまり、クールであるために従来のように「difference(違い)」や「authenticity(本物らしさ)」を追求するのではなく、あえて「sameness(同一性)」を選ぶという態度です。
彼らの考えを説明した長い資料があるんですが、そこからポイントらしきところを(強調は私)。
ルールが「Think Different」であれば、「普通」なヤツと思われることが一番恐ろしい。(それは君の退屈な郊外育ちのルーツに引き戻されることであり、カボチャの中に連れ戻されることであり、君は特別じゃないって晒されることだ。)よってMass Indie(訳注:K-Holeが思う今どきのおしゃれな若者)の超エリートにとっては普通を選ぶことこそ逆説的に妥当ということになる。独自性なんかどうでもいいんだと示すことによって、彼らのステータスを確実にできるからだ。一番Differentなことは、Differentになるのを完全に拒否することなのだ。
つまりあまりにもみんなが「人との違い」を求めているから、あえて「同じ」方向に行くのがかっこいいんだ、みたいな感じですね。
ただ、こうして「人と同じ」を選んだ結果、たとえば白シャツにパンツというスタイルではなくて、Tシャツに短パンみたいなゆる楽スタイルになっていったのがひとつのポイントじゃないかと私は思います。
というのは、上のニューヨークマガジンの記事を読んで、最近クリップしていた別の記事を思い出したからです。2月16日付けのニューヨークタイムズ・スタイルマガジンの「Slave No More(もう奴隷じゃない)」と題された記事、書いたのはファッションジャーナリストのCathy Horynさんです。ちょっと長いんですが訳して引用します(強調は私)。
私はファッションショーに行くのが好きだし、仕立て屋やデザイナーたちの努力に感服しています。でも私が見ているショーの多くに関して、私が観客として適切だとは思いません。でも、そこに適切な女性がどれだけいるんでしょうか? ハイファッションを着ようという意志(時間とお金はともかく)を、今誰が持っているんでしょうか? この10年ほどで、ハイファッションとは何か極端なもの、または小売の専門用語でいえば「スペシャル」なものと認識されているんです。思うに、もうほとんどの人はランウェイのショーの目的は欲望を作り出すためのエンターテインメントであることを知っています。彼らはハイファッション企業の主な興味が美よりも利益にあることを理解しています。製品を売って新たな市場をつかまえる、それはコカ・コーラとかアップルと同じことです。(中略)
最近私は、周囲の女性たちのある変化に気づきました。彼女たちはみんな仕事を持ちつつ、面倒な家族のルーティーンをこなしつつも、ファッションに一家言持った人たちです。でも今はみんな、スリムなパンツにプルオーバー、フラットシューズというスタイルをボーイッシュな制服のように着ているんです。またはレザージャケットの中に素っ気ないレイヤーとか。彼女たちはメークもほとんどしないので肌はフレッシュに見えます(厚いメークは老けて見えるのをみんな知っています)。パリでのショーの最終ラウンドでは、フランス人の友人たちでさえ素敵なピンヒールをやめてローヒールを履くようになっていることに気づきました。何かが起こっているはずです。だって女性というものは、気まぐれでは動かないからです。(中略)当時(90年代)から何が変わったんでしょうか? アートにインスパイアされたファッション、たとえばマルタン・マルジェラやミウッチャ・プラダ、ラフ・シモンズについて20年間熱心に書いてきた私から見ると、私たちはこのアプローチにうんざりしまったんです。女性の役割が80年代、90年代と進化していった頃は、服に意味を付加することは簡単だったし、必要だったかもしれません。服はパワフルだったり、大胆だったり、etc。でもはっきり言って今、服の周りの言葉の多くには無理やり感があります。1月のミラノのメンズのショーでプラダが彼女の素直なテーラリングについて話したときは感動しました。「私はリアルなものにしたかったんです。そして今、そのことを気に入っています。」
多くの女性も同じ思いでしょうが、こんな考え方は目新しいものでもありません。快適さへの欲望は根源的なもので、それが今、女性たちの姿勢や市場を形成しています。たとえばVinceが上場したりといった、いわゆるライフスタイルブランドの成長ぶりからもそのことがわかります。オーディエンスのほとんどは、シンプルなものを求めるベビーブーマー(訳注:第二次世界大戦終戦後に生まれた世代、日本でいえば団塊)ではないんです。にもかかわらずハイファッションにおいては、この春のテーパード・トラックパンツとトップスのようなスタイリッシュなカジュアルを体現しているステラ・マッカートニーのような例外を除いて、この市場が無視されています。
この記事ではNormcoreとは言っていませんし、多分記事執筆時点ではNormcoreという言葉が知られてないと思いますが、既存のファッショナブルさに対する懐疑、快適さ重視のスタイルの肯定という点で共通しています。そんなわけで今のニューヨークのおしゃれな人の気分は、このへんにあるんだと思います。
というか今のニューヨークにかぎらずアメリカ全般に、多くの人は何だか楽ちんで似たような格好をしています。今の自分の周りでいうと、まだ寒いんで、アウトドアブランドのダウンとかダウン的なワサっとしたブルゾンに、ジーンズとかあったかいレギンス。靴は男性ならスニーカー、女性ならショート丈のムートンブーツ。夏ならTシャツかタンクトップ、短パン、ビーチサンダル。それを今、おしゃれな人たちがあえて選んでやっているのがNormcoreってことかもしれません。
というか、たとえばこんなスタイルもNormcoreな例とされてるんですが、こういうモードっぽいもの+スポーツブランドのベーシックアイテムみたいな「外し」は前からありますね。
だから「Normcoreが流行ってるらしい」といっても、アイテム的にとかスタイリング的に何か目新しいものが出てくるわけじゃないのかもしれません。というかそういう「新しさ」の逆に行こうとしてるのがNormcoreなんですよね、多分。
ただ、プレーンでラクな服が大好きな私としては、この流れでその手の服の選択肢が増えるといいなと思ってます。「何の変哲もないスウェット」とかを探しても、探し始めるとなかなか見つからないことが多いので。あとできれば単にラクってだけじゃなくて、肌触りとか含めて着心地全般を意識してくれるといいなー。
それからもうひとつ、このNormcore的ながんばらないファッションの背景には、「ファッションって意味あるの?」っていう問いかけもある気がします。それって正解のある質問じゃないし、答えられても何かが変わるわけじゃないけど、だからこそいろんなデザイナーとかファッションに関わる人がどう思ってるのか聞いてみたいです。
I'll be! (←何に?)
最近子供と自分の英語学習を兼ねてアニメの『Curious George』を英語(英語字幕付き…聞き取り不安だから)で見ているのですが、その中で目についたのが「I'll be!」という表現です。「何かになるの?どうにかなるの?」と突っ込みたくなります。
「be」は単体で「存在する」という意味があり、「God is.(神は存在する)」とかがよく辞書の例文にあります。でも「I'll be!」は「私は存在するでしょう!」とは解釈しにくい文脈で使われてます。
『Curious George』の中ではたいてい、ジョージが何かすごいことをしたのを発見したときのセリフなので、何か「うわー」とか「すげー」みたいな言葉だろうと思って一応調べたら、大体「驚きを表す」ってことでいいみたいです。
Weblio辞書によると、「I'll be damned」の略らしいと書かれてます。でも「damned」も「呪われた・ばかばかしい・強意語としてくだけた表現で使用される虚辞」とか多義なのであまり考えこむと謎が深まりますが、ここでは一番最後の、あんまり意味のない意味、と思っておいてよさそうです。