アメリカとイギリスの違い 言語編

2018年に夫の仕事の都合でアメリカからイギリスに引っ越しまして、1年ほど経ちました。
 
アメリカとイギリスって同じ英語圏だけどイメージ違うよなーなどと思いつつ、日本→アメリカの引っ越しがなんとかなったんだからアメリカ→イギリスも大丈夫だろうとタカをくくってたのですが…
 
結果、思った以上に違っていて、けっこうストレスもありましたが、この頃やっと慣れてきました。多分この「違い」は客観的に明らかなものもあれば、人によって感じ方が違うものもあり、住んでいる地域とか仕事とかによってもいろいろだと思いますが、私自身が感じてきたことをまとめておきたいと思います。同じような立場の人の参考になればうれしいです。
 
…と、まとめていたらやたら長くなってきたので、まずは言葉の違いについてまとめます。このあと、食べ物やファッション、生活面での違いも書いていきたいです。
 
 
・英語がだいぶ違う
 
アメリカには通算7年住んで、日常会話はなんとか英語でできるようになったんですが、そして仕事も翻訳をしてるんですが、私の英語力はまだまだネイティブ並みとは言えません。そしてイギリス英語とアメリカ英語は発音も使う単語・表現もいろいろ違うのを知ってはいたので、引っ越しにあたって戦々恐々とはしつつ、まあなんとかなるかな?とも思っていました。
 
が、やっぱり最初はイギリス英語、全然わからなくて、??????となることがしょっちゅうでした。特に電話だと聞き取れなさすぎて、もはや言葉の一部すら把握不能!何語かもわからない!みたいなことが多発しました。何が違うのかって、なんかイギリスの人って口の奥にマシュマロかなんか入ってるみたいに聞こえるんですよね…と思ったら、そのへんを鮮やかに説明してくれてる動画があったんで貼っときますね。
 
 
 
 
(マシュマロが入ってる感じは、上の動画の0:55あたりからの「o」の発音と1:35あたりの「a」の発音でだいぶ納得しました)
 
さすがに1年経った今は、買い物とか病院とか学校の先生との会話はできる程度になりましたが、アメリカ英語が8割わかるとしたら、イギリス英語はまだ6割くらいかなあ、、、
 
 
・lovelyは「ラブリー」ではない
 
と、言葉で多少苦労してはいるのですが、いつまで経ってもネイティブ並みになれない永遠の英語学習者としては、違う英語に触れられるのは楽しいです。単に語彙が入れ替わるとかだけじゃなく、アメリカではたまにしか使わない表現とか意味がイギリスでは頻繁に使われてるのが興味深いです。
 
たとえば「lovely」って言葉がイギリス会話には頻出します。辞書で見ると一応「美しい」「可愛い」みたいな意味があるみたいですが、イギリスではどっちかっていうと使われすぎてほとんど意味がないというか、でも基本ポジティブな、「good」とか「nice」みたいな感じで使われます。会話の中では、形容詞というより間投詞のような感じで、「lovely」単体で「ありがとう」とか「OK」みたいな肯定的な挨拶/相づちとして使われてる感じがします。この使い方だと、人によってはちょっとびっくりするみたいです。「ラブリー」って語感からすると女子っぽい言葉遣いにも思えるんですが、男性も普通に使ってます。
 
たとえば、スタバで注文するとき→私「カフェラテください」店員さん「3ポンドです」私「どうぞ(支払う)」店員さん「lovely
何かの窓口で書類書いたりするとき→私「書き終わりました」受付の人「lovely。じゃあ座って待っててくださいね。
という感じです。多分、OKとありがとうの中間くらいの気持ちなのかなと思いながら聞いています。
 
 
 
・メッセージの最後に謎の「x」
 
あと気になったのは、女子同士のテキスト上のやりとりで文末にやたら「x」を付けることで、これは「kiss」を意味するようです。アメリカ英語だとメッセージの最後に「xoxo」(kiss and hugの意味)と書いたりしますが、この習慣に同じように疑問を持ったアメリカ人女性のブログによると、それよりもっと頻繁みたいです。
 
私の見てる例でいうと、子供の学校の親同士で作っているWhat's Appのグループ(日本のLINEグループに相当)があり、そこでは「宿題の提出日って明日だっけ? x」「たしか明後日?」「明後日でOKよ x」「よかった!ありがとう xxx」といった感じでxが乱発されてます。そしてもちろんリアルで会ってるときにはみんな、そんな一言ごとにチュッチュしてるわけじゃないですw でもなんでか、テキストとかメールだとそういう感じでシメにxを入れたくなるみたいです。そしてこのxは、男性は基本的に付けないもののようです。
 
 
 
・並べ替えじゃなく、問題解決の「sort」
 
あとは日本語ではExcelの「ソート」(並べ替え)あたりで知られているであろう「sort」って単語も動詞でよく使います。イギリスでの「sort」は、「解決する、直す」って感じの意味ですが、受け身にして「sorted」で「大丈夫、一件落着」のようなニュアンスで使われることが多い気がします。
 
たとえば今電車に乗ると、不審物を見つけたら通報しましょうキャンペーンで「See it, Say it, Sorted」という放送が流れてるのですが、訳すと「『それ』を見たとき、通報すれば、もう大丈夫」という感じです。とか、家のガレージドアが壊れたときに大家さんが直してくれて、「よし、これでsortedだね」という感じです。
 
 
 
・なんでもありの「pudding」
 
あとややこしいのが、puddingです。狭義には、小麦粉とか卵をまぜて加熱して固めた食べ物のことをさすようで、custard pudding=いわゆる「プリン」もそうだし、肉料理の付け合せに出てくるYorkshire pudding(シュー皮みたいな食感)もプディングです。つまり、甘いものも甘くないものもプディングです。
 
puddingのややこしさはこれにとどまらず、広義のpuddingはデザート全般を指します。たとえばフードトラックに「pudding」と書いてあるものがあると、そこには日本で言うブラウニーとかパウンドケーキみたいなものが並んでいて、いわゆる「プリン」はほぼないです。さらにはお弁当の食後用に付けた小さなヨーグルトとかチョコレートとかまで「pudding」と呼んでいるようで、子供が「今日、クラスの誰々がランチにpuddingを持ってきてた」みたいなことを言ってました。なので広義の意味では、中身が焼菓子なのか生菓子なのかといったことはもうあんまり関係なく、「デザート」として供されるものは「pudding」と呼んでしまうようです。
 
でも「デザート」(dessert)という言葉も「デザート」として使っていて、レストランで「デザートメニューください」と言ったりします。このページによると、もともとは「pudding」は庶民のデザート、「dessert」は上流階級のデザートだったのが、最近何事もボーダレスなのでないまぜになっている、ということのようです。
 
その他、一般的な語彙とかつづりの違いとかはいろんなところでまとめられてるので、ここでは特に触れませんね。…って、読み返すと、誰かの参考になるのかどうか自信ないんですが。
 

GapのPegged Boyfriend Denim(ロールアップしたボーイフレンドデニム)がざわついた理由

Twitter見てたらこんなポストがあって、最初わからなかったんですが、調べたら、あははとなったので。

 

「聞きたいんだけど、Gapはほんとに”これ”をジーンズの名前にしたの?」

 

”これ”とは写真にあるタグの「Pegged Boyfriend」を指すようです。そしてコメント欄はなかなか盛り上がってます。ボーイフレンドジーンズはよく聞くけど、「Pegged」なジーンズってなんだろう? 何がだめなんだろう?と思って調べてみました。

 

「Peg」って、名詞では壁のフックとか、イギリス英語では洗濯ばさみとかの意味があり、動詞だと「フックにかける」とか「洗濯ばさみではさむ」とかの意味になるようです。そして「Pegged Jeans」は、すそをロールアップしたジーンズのことのようで、日本でも「ペグジーンズ」とか言われてることがあるみたいですね。

 

そんなわけで「Pegged Boyfriend」は直訳だと「フックにかけられたボーイフレンド」みたいなことになるんですが、それじゃ何がおかしいのかわかりません。上のTwitterのコメントを見ると、何か性的な意味があるようです。

 

こういうときの味方は、スラング辞書のUrban Dictionaryです。調べてみると、pegには「女性が張形を着けて、男性の肛門に挿入する」みたいな意味があるようです。つまり「Pegged Boyfriend」とは、そういうプレイをされちゃったボーイフレンドという意味になります。

 

Twitterのスレッドではさらに「Pegged Distressed Boyfriend Jeans」なんてモノも発見されてました。「Distressed」とは、洋服とかに使うときは「使い古した風合いの」という意味になりますが、もともと「Distress」は「疲れさせる」みたいな意味なので、「Pegged Distressed Boyfriend」では「Pegされてよれよれになったボーイフレンド」みたいなことになってしまいます。

 

「Pegged Jeans」だけだと誰もおかしいと思わないのに、Boyfriendがくっつくことでアッー!となっちゃったんですね。多義な言葉がくっついて知らず知らずのうちにすごい意味になっちゃってるケースは他にもありそうです。

 

90年代ファッションってどんなだったっけ、と当時の10〜20代(の私)が振り返ってみる

3年以上ぶりの更新ですが、ここに書いてない間ずっと書きかけてたのが90年代の話でした。この何年か、80年代につづいて「90年代ファッション」が来てるということになっていますが、それって「どの90年代?」という感じがしているのです。
 
私は1975年生まれなので、90年代というと15〜25歳、中学校卒業から高校大学を経て社会人3年目というタイミングです。若かったし、その頃は今と違って日本以外の情報がどんどん入ってくるってことはなかったので、当時の全貌を捉えきれてはないと思うのですが、それでもなんかいろんな面白い要素があったし、あと今「90年代」っていうとなにか私からみると「80年代」的な、ボディコンとかジュリアナスタイルを指すこともあるみたいですが、そうなんだっけ?とかも思っています。
 
あ、別に「今ちまたで言ってる90年代は間違いだらけ!」とか指摘したいんじゃなくて、90年代に限らず、過去ファッションを振り返る意味は、「何かしら使えるアイデアを見つける」ってことだと思うので、なんというか、取りこぼされてそうな要素を自分なりにすくいとりたいのです。
 
そんなわけで、あくまで日本の東京の、中学生〜20代前半の女視点ではありますが、90年代ファッションって何があったかなあと、つらつら思い出してみます。
 
 
・紺ブレ
 
これって日本限定かもしれないんですが、紺ブレがものすごく流行りました。私の身の回りでは高2のとき、だから91年に、一気に来ました。バブル崩壊の時期なんですが、若い学生がみんなで紺ブレ買ってるくらいだから、まだまだバブリーだった気がします。同じ頃に、ポロシャツブームとか、ローファーブームもありました。ローファーの色はこげ茶がお洒落で、ボトムスはチノパンとかチノクロスのスカートとかで、全体的にトラッドでしたね〜。
 
ポロシャツも紺ブレも微妙にヒエラルキーがあって、10代の私の中ではラルフローレンが脳内最高級(持ってない)で、後でポロシャツだけラルフローレンで買ってもらえたけど力みすぎて似合わないし好きでもない明るいグリーンを選んでしまい後悔するみたいな。ポロシャツはブランドにこだわらなければ手頃だし、当時デパートに入ってるような国内ブランドは多分みんな出してて、みんな着てましたね。ポロシャツ2枚重ねしたりね。高校が私服だったんですが、クラスの半分以上ポロシャツみたいな時期があったような。
 
 
・リーバイスの501しか許さないみたいな風潮
 
今じゃいろんなスタイルがあって当然のジーンズですが、↑のトラッド的な流れがあるせいか、なんかジーンズにも「作法」というか「こうあるべき」みたいな思想があった気がします。ジーンズの原点たるリーバイスの501のまっさらなやつを買って、ずーーーーーっと洗わないで毎日履いて味を出すのがえらい、みたいな。501じゃないにしても基本的に形はストレートで、ストレッチなんか入ってちゃダメ、というかその頃ストレッチのジーンズなんかあったのかな? 今じゃ501(とかその手の、股上が深くてストレートなジーンズ)は「Mom Jeans」とか言って、「一周回ってお洒落」みたいなことになってますが。
 
余談ですが、多分2000年代初頭の『だめんず・うぉ~か~』の中に、倉田真由美さんの仮想敵であるシロガネーゼが「ジーンズとかフリースって持ってませんね」って発言してた部分があったんですけど、そのへんも時代を感じます。今じゃハイブランドだってジーンズを出してるし、シルクのトップスとジーンズみたいなきれいめコーディネートも普通ですが、そう考えると90年代ってまだ日本ではジーンズが定番化してなかったというか。
 
逆に今、ジーンズが定番だと思ってるんだけど、ポロシャツが流行ってた頃は「定番だから長く着られる」とか思ってたので、とするとジーンズだって必ずしも10年、20年後みんな今ほど履いてないのかも、とも思います。たとえばチノパンも、90年代には女の子がもっと履いてたと思うんですが(私も2、3本くらい持ってたし)、今あれ履くとしたらわりと気合い入れないともっさりしちゃいそうです。
 
 
・フレカジ
 
当時お洒落な人がよく着てたのに今は(多分)そうでもないもののひとつが、アニエス・ベーのスナップボタンカーディガンだと思います。今思うとこのカーディガンってけっこう難しいっていうか、子供っぽくなりやすいアイテムだと思うんですが、でも個々のアイテムどうこうじゃなくてアニエス・ベーってかっこよかったんですよね。日本のデパートに入ったDCブランドにはない「間」があるというか。「かっこよかった」って過去形で書いちゃいましたけど、今もその「間」は保たれてると思うし、スナップカーディガンはサイズ感を工夫すれば今っぽく着られると思います。
 
で、タイミング的には多分紺ブレの後だったと思うんですが、アニエス・ベー的フレンチっぽいてろてろした小花柄ワンピース x カーディガンみたいなスタイルがわーっと増えてきました。あとはレース付きキャミソール&同素材カーディガン&デニムとか。そうだ、「カットソー」がメジャーになった時期でした。カットソーの素材感もどんどんてろてろになっていって。全体的に、80年代DCブランドとか肩パッド入りスーツへの反省みたいな気分があって、もっとリラックスして等身大の服を…みたいな流れがありました。ブランドでいうと他にもClaudie Pierlotとか(当時は日本にも入ってた)、French Connectionとか、セレクトショップですがベイクルーズ系もかなりフレカジでした。
 
ベイクルーズ系といえば、たしかドゥーズィエムクラスで、レーシーで繊細で可愛くて何万もする「Voyage」ってブランドのカーディガンを扱ってて、すっごく憧れてたけど買えなかったです。そのブランドは2000年代初期になくなっちゃったみたいですが、なくなっちゃったこともあって余計に、90年代な感じがするのかも。
 
 
・ツインニット(とか、コンパクトなトップス)
 
カーディガンといえば、ツインニットブームもすごかったです。ちょうど私がアパレルの販売をしてたころ(数ヶ月だけど)が全盛期で、基本は丸首半袖ニット+丸首カーディガンでしたが、Vネックとかタートルとかハイネックとか、袖丈もノースリーブから五分、七分などなどいろいろで。色もいろいろ、素材も薄手のウールからモヘアやらカシミア、夏ならコットンやら化繊のちょっとツヤ感入ったものなどなど百花繚乱だったんですが、今思うとだいたい共通してたのが、シルエットがすごくタイトだったことです。で、スカーフ巻いたりして。
 
その頃ボトムスではいわゆる「マジックパンツ」、ストレッチ入りのブーツカットのパンツ(私のいたお店ではブラウン系がわりと売れていた)が流行っており、たとえばパステルブルーのツインニット+ブラウンのブーツカットパンツ(すそ長めに残す)+ヒョウ柄スカーフ+7cmくらいヒールのアンクルブーツ みたいな店員さんが多発してました。なんか細長いシルエットが流行ってたんですね。ちびTもそうだし。コートもロング丈が流行ってて、でも今出てるようなビッグシルエットってことじゃなくて、あくまで細長く。
 
ツインニットにも「これ!」ってブランドがあって、それはジョン・スメドレーでした。当時雑誌でツインニットっていうとだいたいジョン・スメドレーが至高、みたいに取り上げられてたんで、私はこれも単純に影響されて憧れてました。その後ブームは去ってしまったけど、個人的にはずっと好きだったんで、銀座の路面店とか時々行ってました。去年私はイギリスに引っ越したのですが、おかげでロンドンのスメドレーのお店とか、銀座のスメドレーに置いてたベーシックカシミアのJohnstons of Elginのお店にも行くことができて、胸熱でした。
 
 
・クリーンな制服スタイル
 
白シャツ×紺のスカートとか、ナースっぽいワンピースとか、いろいろ持ってたし好きでした。シンプルな白シャツは、2000年代にはアン・フォンテーヌかアニエス・ベーでも行かないと売ってないくらい流行らなくなりましたが、今は逆に「定番」化してきましたね、と思ったらアン・フォンテーヌ日本撤退してたんですね!! もう少し持ちこたえてたら、爆買いされてたかもしれないですね。
 
 
・機能推しのメーク(ノーカラーファンデやら落ちないリップやら)
 
多分80年代への反省と女性の役割変化と技術の進化がないまぜになってだと思うんですが、当時はノーカラーファンデーションとか落ちないリップとかが、これも一気に出てきてました。落ちないリップはたいてい本当に落ちないんだけど、質感がカサカサだったりしてイマイチだった印象です。でも今、もし「そこまで落ちないわけじゃないけど、質感もそこそこいい」みたいな口紅があったら私はほしいな。
 
・モード系 ←→ コンサバ系 っていう軸
 
これも日本限定かもしれず、そして日本では今も健在な軸かもしれないんですが、そうだとしても昔はそれがもっと顕著で、モード系とコンサバ系はブランドからして分かれてた気がします。そして「モード系」から見るとコンサバ系は80年代を引きずった種族であり、我々は「そうじゃない」新たなスタイルを確立するのじゃ…と一生懸命だった気がするんですが、そういう、「何かは古い=間違いで、何かは新しい=正しい」みたいな考え方自体がやっぱり昭和というか20世紀的だったのかな、と今は思います。
 
今は2000年代のリバイバルも始まっていると言われてどれくらい時間が経てばヴィンテージたりうるのか?みたいな話にもなってます。個人的には、少なくとも一般人においては、もうあんまり世の中の「トレンド」に照らし合わせて何が「古いからダメ」とか「新しいから良い」とかは考える必要はなくて、その代りひとつひとつのアイテムとかスタイリングについて、自分自身が「よしっ」と思えて精神的にも肉体的にも快適に着られるか、着ていく場に合ってるか、モノとして好きか、そう思う理由はなにか、みたいな他人から見たらどうでもいいけど自分にとっては大事なことを日々感じ取ることをがんばったほうが前向き(自分に何かが蓄積されていく)なんじゃないかなと思います。
 
そんなわけで、ここでご紹介した要素から、何か「よしっ」と思えそうな、琴線に触れるもの、好きそうなものを見つけていただければ幸いでございます。
 

こんな久々更新はありですか

前回更新からはや1年と何ヵ月!? ブログってこんなことでいいんでしたっけ。すみません。以下、個人的な思い・言い訳と、自分の書いた記事へのリンク集ですので、奇特な方以外は読み飛ばしてください。

 
このブログ、最初は細々やってたのですが、前の記事でたくさんの読者の方に購読登録までしていただき、それじゃもうちょっとマトモなこと書かなきゃとか思ってグズグズしだした矢先、あるサイトからライターとしてのお仕事依頼をいただき、そちらで書きたいネタを書くようになり、仕事が増えて忙しくなったうえに、さらに妊娠して出産して、とやっている間に1年以上経ってしまいました。
 
今子供が3ヵ月近くなってだいぶ落ち着いてきたのと(あ、二人めです)、そもそもこのブログを始めたのは、仕事として誰かの看板で書くのではなく、「自分の顔で書く」ということをしたほうが、自由でもあり仕事とは違う緊張感もあり、一周して仕事にもプラスだろうと思ったからなので、産休明けるにあたってこちらもちゃんと再開することにしました。というか再開するタイミングも、途切れて以来ずっと逡巡してましたが、だいたい誰も気にしないだろうと思い、夜寝る前にiPhone見始めて寝られなくなった今、書くことにしました。今までみたいな何か情報のある記事で再開するべきなのかもとかまだ迷いがあるのですが。
 
このブログに書いてない間、以前ならここに書いたであろうネタは、だいたいアラフォー女性向けのサイト「カフェグローブ」で書かせていただいてました。たとえばこんなのです。
 
Young でUrbanなMale(男性)をねらって、ハイブランドがもっと面白いものを出してきてるよという話。
 
海外ビーチリゾートに行く女性にとてもオススメな「カバーアップ」なるもの。日本でももっと売ればいいのに。
 
ニューヨークの美味しいものをちょこちょこつまみ食いできるフードコート的な場所まとめ。
 
クイックメイク環境は実は日本のほうがニューヨークより充実してると思うのですが、ニューヨークにも気軽に行けるとこがあるという話。
 
米国VOGUEのクリエイティブ・ディレクター、グレース・コディントンの映画ができるかも。(その裏情報がソニーピクチャーズのハッキング事件で流出するという、ファッションとテクノロジーの残念な融合)
 
もっとあるんですが、あんまりリンクばっかり列挙してもあれなのでこのくらいにします。
 
そんなわけで、これからもカフェグローブでは書かせていただけそうですが、個人として書いたほうがいいこともあるので、それはまたこのブログに書きますね。これからもよろしくお願いいたします。 
 
 
 
 
 
 

Normcoreへの反応まとめます、ありがとうございます!

前回NYで流行ってるといわれるNormcoreについての記事を書いたところ、驚愕の大反響をいただきました。アクセス、コメントくださった方、どうもありがとうございます!

今まで友達にしか教えてないブログで更新もたまにしかしてませんでしたが、今回の記事でアクセス数が一気に100倍以上になりました(母数が少なすぎという説も)。はてなブックマークTwitterFacebookなどなどで共有してくださった方々の影響力はすごいです。

うれしかったのはアクセス数だけじゃなく、ブログの中やはてなブックマークTwitterでたくさんコメントをいただけたことです。記事を書くのも楽しかったですが、コメントを読むのはもっと面白かったです。参考になる本なども教えていただき、情報発信は最大の情報収集、、と感じました。コメントははてなTwitterのページで一覧として見られますが、このブログでも自分なりにまとめておきます。

本来でしたらそれぞれの方のツイートなどリンクさせていただくべきかもしれませんが、お礼兼ねて早めに出したいのでテキストでの抜粋になってしまうのをご容赦ください!まとめちゃってますが、今のところ全部拝読してるつもりです。

まず全体的に、「なんとなく感じつつあったことと一致した」「共感した」といったコメントをたくさんいただきました。ニューヨークと日本、離れているけど空気はつながっているんでしょうね。

私個人的にすごくピンときたのは、「SNSとかで自分らしさは表現しちゃってるから、服で主張する時代は終わった」「ブランディングにおけるファッションの役割が縮んでる」といったコメントです。

たしかに自分自身も、今ちょっとカッコつけた服装をしようとするとき、何か家の茶の間でよそ行きのドレスでも着てるような違和感を感じるようになってました。それは自分がこの数年で会社勤めからフリーランスになり、子供も生まれ…といったライフスタイルの変化のせいかと思っていたのですが、それだけじゃないんだな、と思いました。ネットの浸透でいろんなことの「嘘っぽさ」が見透かされるようになってきて、飾り立てるのが白々しく感じられてしまうのかもしれません。

これに通じる考え方がもっと前に書かれた本として、「につまるとblog」さんが菅付雅信さんの『中身化する社会』を紹介されてましたので、読んで見たいと思いました。それから佐々木俊尚さんの『簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。』でも同じことが書かれてるそうです。

そう、Normcoreな気分はファッションだけじゃなく食にも影響してるんですね。ブライダルのお仕事されてる方からもコメントいただいて、「Normcore(に共感する人が挙げたいと思うような)結婚式」ってすごく難しいお題だけどすごくワクワクするなあと思いました。

そして「人と同じ服でもいいのは、個性があるから」「価値観とか生き方にフォーカスしてるのかも」「自分の価値観がしっかりしてない人ほど表面的な差異を求める」「自分が似合う自分らしい服を突き詰めるのは相当難しい」「ファッションを纏うことで自意識とのすり合わせをしているという感覚」といったコメントからも、やっぱり「自分」が大事だなと思った次第です。このあたりについては鷲田清一さんの本をおすすめいただいたので、読んでみたいと思ってます。

違う意味で共感したのは、「俺/私はこれだったんだ、最先端だったんだwww」ってコメントで、これもたくさんいただきました。私も今毎日着てるのは夫所有のパタゴニアのダウン+普通のレギンスで、J.Crewのダウンジャケットをファイナルセールで買って狂喜乱舞しているような、そんなことでファッション語って大丈夫かという感じなのです。

あとは逆に、思ってたのと違ってハっとしたこともいろいろあります。まず私はNormcoreはゆる楽方向かなと思ったのですが、「Normcoreは快適や安らぎではない。大衆と同じ格好をしてても生きざまが違うから目立つ」というコメントをいただきました。たしかに、身体的には楽でも、精神的にはむしろ厳しくなるのかもしれません…。

さらに「同じ服でもモデルみたいな人が着るからいい」「サイズ感が大事」「健康志向にも通じるのでは」といったコメントもありました。たしかに、おじさんっぽい半端なゆったり感の服って、体型によって見栄えが大きく違ってきます。だから精神的だけじゃなくやっぱり身体的にも楽はできないのねとか…。

それから、Normcoreという考え方に関してもっとネガティブな「『あえて逆に行く』ってのは結局他人を意識してる(かっこよくない)」「痛い」「服を選ぶ楽しみを奪われてる」「新しさを求めないなんて」などなどの反応もたくさんありました。ネガコメというよりは、率直な感想だと受け止めています。というか「Normcoreって、なんか違うんじゃない?」という感覚から生まれてくるものが、次の新しい「何か」になるのかもと期待もしています。


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昨日のニューヨーク・タイムズでもNormcoreが大特集されていて、でもトーンとしては「Normcoreってホントに流行ってるの? まー、ここまで騒がれちゃったらしょうがないか」という感じです。

でも大事なのは、というか面白いのは、Normcoreが流行ってるのかどうか、かっこいいのかどうか、ってことよりも、これを起点に何を考えて、何をするかってことじゃないかと思います。読んでくださった方の仕事とか趣味とか生活のヒントになってればうれしいです。

で、私自身は、どうしよう。

とりあえず、このブログではこれからも自分的に「拾ってきた小石」(Pebbles)みたいなものをポツポツ並べていきます。あくまで私の仕事とか生活の範囲から、私の基準で拾ってくるものなので、前の記事みたいにたくさんの方に読んでいただくほどじゃないかもしれません。でもなるべく、「必要としてる人は多いか少ないかわからないけど、読みたい人にとってはすごく大事」みたいな情報を記事にしていければと思います。これからもよろしくお願いします!

NYで流行ってるらしい「Normcore」(究極の普通)とはなんぞ

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先日翻訳仕事の中で、Normcoreって言葉を知りました。Normは標準、coreは「ハードコア」とかの「コア」で、サラっと言うと「究極の普通」という感じでしょうか。私が読んだ文章では、「きわめて普通っぽい服装」くらいの意味で使われてました。

2月終わり頃から話題になっているみたいです。この言葉を最初にメジャーデビューさせたのは、2月26日付ニューヨーク・マガジンの「The Cut」に書かれたフィオナ・ダンカンさんの記事です。

その記事によると「Normcore」とは、「アートキッズ」や「ダウンタウンの女子たち」が「中年の、中流アメリカ人観光客」みたいな服装、つまり「ショッピングモールで買ったような服」「デリのコーヒーの最後の一滴みたいにぬるい服」を着るってことです。たとえばストーンウォッシュのジーンズやフリース、ラクなスニーカー、アディダスのトラックパンツやナイキのスリッパ型サンダル、ニューバランスのスニーカー、TevaとかビルケンシュトックのサンダルPatagoniaのウィンドブレーカー、ユニクロのカーキパンツ、Crocs、土産物の野球帽、などなどなどといったアイテムが例として挙げられてます。

イメージされる人はアップル創業者のスティーブ・ジョブズとか、

 

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となりのサインフェルド』のジェリー・サインフェルドとか(この写真一番右がサインフェルドだけど、大体みんな非常に普通な…)です。

 

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Normcoreという言葉、元々はK-HOLEというトレンド予測集団が提唱したものです。彼らが言うNormcoreとは、ある種の服装というよりは姿勢のことを指しているみたいです。つまり、クールであるために従来のように「difference(違い)」や「authenticity(本物らしさ)」を追求するのではなく、あえて「sameness(同一性)」を選ぶという態度です。

彼らの考えを説明した長い資料があるんですが、そこからポイントらしきところを(強調は私)。

 

ルールが「Think Different」であれば、「普通」なヤツと思われることが一番恐ろしい。(それは君の退屈な郊外育ちのルーツに引き戻されることであり、カボチャの中に連れ戻されることであり、君は特別じゃないって晒されることだ。)よってMass Indie(訳注:K-Holeが思う今どきのおしゃれな若者)の超エリートにとっては普通を選ぶことこそ逆説的に妥当ということになる。独自性なんかどうでもいいんだと示すことによって、彼らのステータスを確実にできるからだ。一番Differentなことは、Differentになるのを完全に拒否することなのだ。


つまりあまりにもみんなが「人との違い」を求めているから、あえて「同じ」方向に行くのがかっこいいんだ、みたいな感じですね。

ただ、こうして「人と同じ」を選んだ結果、たとえば白シャツにパンツというスタイルではなくて、Tシャツに短パンみたいなゆる楽スタイルになっていったのがひとつのポイントじゃないかと私は思います。

というのは、上のニューヨークマガジンの記事を読んで、最近クリップしていた別の記事を思い出したからです。2月16日付けのニューヨークタイムズ・スタイルマガジンの「Slave No More(もう奴隷じゃない)」と題された記事、書いたのはファッションジャーナリストのCathy Horynさんです。ちょっと長いんですが訳して引用します(強調は私)。

 

私はファッションショーに行くのが好きだし、仕立て屋やデザイナーたちの努力に感服しています。でも私が見ているショーの多くに関して、私が観客として適切だとは思いません。でも、そこに適切な女性がどれだけいるんでしょうか? ハイファッションを着ようという意志(時間とお金はともかく)を、今誰が持っているんでしょうか? この10年ほどで、ハイファッションとは何か極端なもの、または小売の専門用語でいえば「スペシャル」なものと認識されているんです。思うに、もうほとんどの人はランウェイのショーの目的は欲望を作り出すためのエンターテインメントであることを知っています。彼らはハイファッション企業の主な興味が美よりも利益にあることを理解しています。製品を売って新たな市場をつかまえる、それはコカ・コーラとかアップルと同じことです。(中略)

最近私は、周囲の女性たちのある変化に気づきました。彼女たちはみんな仕事を持ちつつ、面倒な家族のルーティーンをこなしつつも、ファッションに一家言持った人たちです。でも今はみんな、スリムなパンツにプルオーバー、フラットシューズというスタイルをボーイッシュな制服のように着ているんです。またはレザージャケットの中に素っ気ないレイヤーとか。彼女たちはメークもほとんどしないので肌はフレッシュに見えます(厚いメークは老けて見えるのをみんな知っています)。パリでのショーの最終ラウンドでは、フランス人の友人たちでさえ素敵なピンヒールをやめてローヒールを履くようになっていることに気づきました。何かが起こっているはずです。だって女性というものは、気まぐれでは動かないからです。(中略)

当時(90年代)から何が変わったんでしょうか? アートにインスパイアされたファッション、たとえばマルタン・マルジェラやミウッチャ・プラダ、ラフ・シモンズについて20年間熱心に書いてきた私から見ると、私たちはこのアプローチにうんざりしまったんです。女性の役割が80年代、90年代と進化していった頃は、服に意味を付加することは簡単だったし、必要だったかもしれません。服はパワフルだったり、大胆だったり、etc。でもはっきり言って今、服の周りの言葉の多くには無理やり感があります。1月のミラノのメンズのショーでプラダが彼女の素直なテーラリングについて話したときは感動しました。「私はリアルなものにしたかったんです。そして今、そのことを気に入っています。」

多くの女性も同じ思いでしょうが、こんな考え方は目新しいものでもありません。快適さへの欲望は根源的なもので、それが今、女性たちの姿勢や市場を形成しています。たとえばVinceが上場したりといった、いわゆるライフスタイルブランドの成長ぶりからもそのことがわかります。オーディエンスのほとんどは、シンプルなものを求めるベビーブーマー(訳注:第二次世界大戦終戦後に生まれた世代、日本でいえば団塊)ではないんです。にもかかわらずハイファッションにおいては、この春のテーパード・トラックパンツとトップスのようなスタイリッシュなカジュアルを体現しているステラ・マッカートニーのような例外を除いて、この市場が無視されています。

 
この記事ではNormcoreとは言っていませんし、多分記事執筆時点ではNormcoreという言葉が知られてないと思いますが、既存のファッショナブルさに対する懐疑、快適さ重視のスタイルの肯定という点で共通しています。そんなわけで今のニューヨークのおしゃれな人の気分は、このへんにあるんだと思います。

というか今のニューヨークにかぎらずアメリカ全般に、多くの人は何だか楽ちんで似たような格好をしています。今の自分の周りでいうと、まだ寒いんで、アウトドアブランドのダウンとかダウン的なワサっとしたブルゾンに、ジーンズとかあったかいレギンス。靴は男性ならスニーカー、女性ならショート丈のムートンブーツ。夏ならTシャツかタンクトップ、短パン、ビーチサンダル。それを今、おしゃれな人たちがあえて選んでやっているのがNormcoreってことかもしれません。

というか、たとえばこんなスタイルもNormcoreな例とされてるんですが、こういうモードっぽいもの+スポーツブランドのベーシックアイテムみたいな「外し」は前からありますね。


だから「Normcoreが流行ってるらしい」といっても、アイテム的にとかスタイリング的に何か目新しいものが出てくるわけじゃないのかもしれません。というかそういう「新しさ」の逆に行こうとしてるのがNormcoreなんですよね、多分。

ただ、プレーンでラクな服が大好きな私としては、この流れでその手の服の選択肢が増えるといいなと思ってます。「何の変哲もないスウェット」とかを探しても、探し始めるとなかなか見つからないことが多いので。あとできれば単にラクってだけじゃなくて、肌触りとか含めて着心地全般を意識してくれるといいなー。

それからもうひとつ、このNormcore的ながんばらないファッションの背景には、「ファッションって意味あるの?」っていう問いかけもある気がします。それって正解のある質問じゃないし、答えられても何かが変わるわけじゃないけど、だからこそいろんなデザイナーとかファッションに関わる人がどう思ってるのか聞いてみたいです。

I'll be! (←何に?)

最近子供と自分の英語学習を兼ねてアニメの『Curious George』を英語(英語字幕付き…聞き取り不安だから)で見ているのですが、その中で目についたのが「I'll be!」という表現です。「何かになるの?どうにかなるの?」と突っ込みたくなります。

 

「be」は単体で「存在する」という意味があり、「God is.(神は存在する)」とかがよく辞書の例文にあります。でも「I'll be!」は「私は存在するでしょう!」とは解釈しにくい文脈で使われてます。

 

Curious George』の中ではたいてい、ジョージが何かすごいことをしたのを発見したときのセリフなので、何か「うわー」とか「すげー」みたいな言葉だろうと思って一応調べたら、大体「驚きを表す」ってことでいいみたいです。

 

Weblio辞書によると、「I'll be damned」の略らしいと書かれてます。でも「damned」も「呪われた・ばかばかしい・強意語としてくだけた表現で使用される虚辞」とか多義なのであまり考えこむと謎が深まりますが、ここでは一番最後の、あんまり意味のない意味、と思っておいてよさそうです。